三鷹市のコミュニティセンター
東京都三鷹市
コミュニティセンターの運営をとおし、自治を確立してきた経緯をご紹介します。
三鷹市は、1950(昭和25)年に市制が施行された、人口約17万人、面積16.5平方キロメートルのまちである。用途地域の9割が住居系で占め、市域の2/3が既成市街地であるにも関わらず、まちにはかなり緑が残されている。
三鷹市のコミュニティは、全国に先駆けた市民と行政との協働によるまちづくりのリーディングケースである。1971(昭和46)年、第2次中期財政計画のなかでコミュニティ・センター建設構想を発表。全国の自治体に先がけてコミュニティ施策に着手し、三鷹市の大きな柱として位置づけた。その後展開されるコミュニティ施策の主な特徴は、
(1) 住民参加によるコミュニティ・センターの建設、
(2) コミュニティ条例の制定、
(3) 住民自らのコミュニティ・センターの管理・運営
の3点。
「ゴールデン・プラン」といわれたこの計画により、市域を5ブロックにわけて、社会福祉施設等を併設する複合施設のコミュニティ・センターを5ヶ所整備し、あわせてセンターの管理運営は地域住民の自主管理とした。
(1) ドイツのコミュニティでの出会い
行政計画の大きな柱となったコミュニティ施策の導入は、当時の三鷹市長、鈴木平三郎氏が1970(昭和45)年の夏、青少年の日独交流事業のため旧西ドイツを1か月間視察した折、偶然にドイツのコミュニティセンターと出会ったことがきっかけである。
「都市の中に、森に囲まれて緑の芝生と花園、子供が飛び回る遊園地、噴水を背にした鉄筋の建物がありました。これがコミュニティ・センターです。」(「広報みたか」1971(昭和46)年1月17日号)
「西ドイツでは、このようなセンターに地区住民があい集い、話し合い、共に楽しみ、利用しており、そこが住民参加の基盤となっていることを知りました。コミュニティに関する調査をして帰国し、各国のコミュニティに関する図書を調べ、1971(昭和46)年3月発表の第2次中期財政計画にコミュニティ・センターを取り入れました。」(「広報みたか」1953(昭和49)年11月3日号)
当時、高度成長期に起こった地方からの都市への人口移動にともなう過疎と過密の問題は、三鷹市にも大きな影響をもたらしていた。
昭和35年に9万人であった市の人口は、昭和45年には15万人にふくれあがり、また転出者も多く、1年間で市民の約3割が入れ代わった。学校や道路の整備に行政の対応を追いつかなくなる一方で、地域や市政を知らない市民が急増。昔からあった町会や自治会などの地縁的な地域団体が機能しなくなり、新住民と旧住民の摩擦が起こるなか、いかに地域のコミュニティを作っていくか、大きな課題だった。
(2) 三鷹方式の住民管理 〜住民協議会の設立〜
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| 大沢コミュニティセンター(パンフレットより) |
住民参加によるコミュニティづくりは、コミュニティ・センターの建設プランの策定から始まり、地域住民の自治組織でセンターの管理の担い手となる“住民協議会”の設立、そしてセンターの会館準備へと進んでいった。
住民協議会の設立にあたり、まず、地域の住民団体(町会・自治会、各種団体、自主サークル)や市報等で公募した市民で構成される70名程度の「コミュニティ研究会」が結成。この研究会が主となって、基本設計から実施設計に至る建設プランの検討・策定が行われた。
プラン策定後、「コミュニティ研究会」は「住民協議会設立準備委員会」に発展的に改組され、この準備委員会によって住民協議会の設立準備が行われ、住民協議会の会則案や委員構成の検討など組織づくりの作業が行われた。最終的に会則案や選出された住民協議会委員候補者が承認され、正式に住民協議会が設立、発足している。
(3) 住民協議会の自治会と予算
センターの住民協議会による自主管理は、市は金を出すが口は出さないことを貫いてきた。
@ 事務局体制
市と住民協議会が管理運営委託契約を締結すると、コミュニティ・センターの管理運営は住民協議会の手に委ねられる。センターの日常的な管理には住民協議会で採用した事務局長以下7名の専従職員があたり、一部ボランティア委員も加わる。事務局職員は交替制で勤務し、通常の受付業務の他、空調やボイラー等の設備の管理、経理事務、図書の貸出など広範囲な業務を行い、館内の清掃や保守・点検などは住民協議会が専門業者に委託している。
A 予算
コミュニティ・センターの管理運営に要する経費は市より助成金として、年間1センターあたり平均8千万円程度が交付される。光熱水費や清掃委託料等の施設管理費と職員人権費等の施設運営費の二つの必要経費の他に、住民協議会のコミュニティ活動費をエリア内の世帯数に応じて交付している。
また、住民協議会は、コミュニティ祭りのバザーの売上金や住民協議会で発行する広報の公告料、そして資源ごみ回収売上金など様々な自主財源を持つ。
従って、住民協議会は年間で、市より補助されるコミュニティ活動費の1.5〜2倍程度の予算規模のコミュニティ活動事業を行っている。その他に周年記念事業などを行うための「活動基金」もあり、財政的にも一定の自立性をもっているといえる。
(4) コミュニティ・カルテからまちづくりプランへ 第1ステージ
三鷹市では、基本計画や実施計画などの行政計画の策定段階において、住民協議会の参加を積極的に取り入れ、市政のおける市民参加の中心的システムとして制度化していった。
その第1の試みとして実施されたコミュニティ・カルテの作成は、住民協議会がコミュニティ住区内の生活環境の診断を自主的に行い、現況の把握(現状値)と希望の度合い(希望値)を把握するもので、市側は住民協議会がまとめたカルテの報告書を受けて、これを実施計画などの行政計画に反映していっている。カルテは公聴会のような方法に比べ、より地域の問題をトータルに、しかもデータに基づき客観的に把握でき、行政計画に反映させることが可能な市民参加の手法である。しかも、地域の問題や要望の集約・分析は住民自身の手で行うことから、カルテは行政に対する要望にとどまらず、住民自らが地域の問題を再確認する契機ともなり、住民協議会の活動指針にもつながる点で画期的だった。
(5) コミュニティ・カルテからまちづくりプランへ 第2ステージ
三鷹市が1971(昭和46)年に第2次中期財政計画の中でコミュニティ・センター構想を発表し、30年のコミュニティ行政が経過している。「コミュニティ・カルテ」や「まちづくりプラン」などの行政計画の策定段階における住民協議会の積極的な参加は、後の、ワークショップ方式による公園整備や学校建設プランづくり、そして基本構想・基本計画策定における「白紙からの市民参加」方式の開発・導入に結びついており、同市のコミュニティ施策は大きな成果を上げたといえる。
しかし、その一方で地域住民の高齢化などに伴い、コミュニティ活動参加者の高齢化・固定化及び、各住区のコミュニティ活動拠点となるコミュニティ・センターの利用者の低迷化・固定化など、住民協議会の組織としての活性化や後継者の育成という問題が顕在化するようになる。それらの諸問題に対しては、実行委員会方式や協力委員制度を導入するなど、住民協議会としてもそれぞれも活動の中から創意工夫し自助努力を続けている。
(6) これからの三鷹市(第3次基本計画)
2003(平成13)年、これまでのコミュニティ行政の検証と活性化策について「三鷹市21世紀コミュニティ行政シンポジウム」が開催された。同年策定された第3次基本計画では、住民協議会との連携に基礎を置きながら、地域のNPO等とのネットワークづくりや支援体制づくりなど、新しい時代の協働方まちづくりの推進が謳われている。
大沢コミュニティセンター
三鷹市のコミュニティセンターで一番最初に建設された大沢コミュニティセンターを訪問しました。
大沢コミュニティセンター
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住 所: |
東京都三鷹市大沢4丁目25番30号 |
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開館時間: |
平日・土曜日 10:00〜21:00 |
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日曜日・祝日 10:00〜17:00 |
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休 館 日: |
毎週火曜日と祝日の翌日 |
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